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第6話 藤色の手紙

Penulis: 春野ケイ
last update Tanggal publikasi: 2026-10-24 20:52:06

ローレン子爵家のお屋敷は、王都の西の外れにあった。

こぢんまりとした二階建てで、門から玄関までの小道には、手入れの行き届いた鉢植えが並んでいる。壁の漆喰は少し古びていたけれど、窓という窓がきれいに磨かれていて、住んでいる人たちの丁寧さが伝わってきた。

籠の中には、シア様のために焼いたレモンの焼き菓子と、ルカの部屋にも持っていっている薬草茶の葉を少し。熱の多い方には、喉にやさしいものがいい。

出迎えてくださったのは、ローレン子爵夫人だった。

「まあ、ヴァレンティ侯爵家のお嬢様に、わざわざ足を運んでいただけるなんて」

夫人は私の手を両手で包んで、何度も頭を下げた。その目が、私の後ろの侯爵家の馬車と、私の着ている外出着の刺繍を、すばやく行き来したのがわかった。

「娘も、きっと喜びますわ。殿下もよく、あの子のところへお越しくださるのですけれど――」

「お母様」

階段の上から、細い声がした。

「お客様をお待たせしないで」

シア様のお部屋は、二階の日当たりのいい角部屋だった。

長椅子に掛けたシア様は、肩に厚手のショールを羽織っていた。夜会で見たときよりも、さらにほっそりして見える。けれど顔色は思っていたより悪くなくて、私は少しほっとした。

「ようこそお越しくださいました、ヴァレンティ様。お呼び立てして、申し訳ございません」

「エレナで結構です。お加減はいかがですか」

「今日は、ずいぶん楽なんです」

シア様は微笑んで、私に向かいの椅子を勧めてくださった。侍女がお茶を運んできて、部屋を出ていく。扉が閉まると、シア様はショールの端をぎゅっと握った。

「エレナ様。まずは、お礼を。あのレモンのお菓子、本当においしかったです」

「よかった。今日も焼いてきたのです」

籠を差し出すと、シア様は目を丸くして、それから両手でそっと受け取った。

「……こういうものをいただくのは、久しぶりです」

「お見舞いのお品は、たくさん届くのではありませんか」

「花やお薬は。でも、手作りのものは」

シア様は籠の蓋を撫でながら、ぽつりと言った。

「子どもの頃から、熱を出してばかりで。学院にもほとんど通えなかったので、お友達と呼べる方がいないんです」

私は少し考えて、薬草茶の包みも差し出した。

「これは、熱のあるときに飲むお茶です。カモミールと、レモンバームと、薄荷を少し。うちの庭で育てたもので」

「エレナ様が、ご自分で?」

「はい。土いじりが好きなんです。よろしければ、今度、焼き菓子の作り方もお教えしますね。お体の調子がいいときに、一緒に」

シア様はしばらく黙って私を見つめていた。それから、目を伏せて、小さく笑った。

「……殿下がおっしゃっていた方と、ずいぶん違うわ」

「殿下は、私のことを何と?」

「いえ、それは」

シア様は慌てたように首を振って、居住まいを正した。

「エレナ様。お手紙に書いた、お詫びのことなのですけれど」

「はい」

「殿下が、このところ頻繁に、我が家へお見えになるでしょう」

「シア様のお体を心配なさっているのですよね。殿下は、病弱な幼なじみを優先するのは当然だとおっしゃっていました」

シア様の肩が、びくりと揺れた。

「……そう、おっしゃったんですね」

「はい。先月のお茶会のときも、シア様が今夜が山かもしれないと伺って、とても心配していたんです。よくなられて、本当によかった」

「今夜が、山……?」

シア様の顔から、すっと色が引いた。

唇が何か言いかけて、止まる。ショールを握る指先が、白くなっていた。

「シア様?」

「……いえ。何でも、ございません」

シア様はゆっくりと息を吐いて、それから、困ったように笑った。

「私は、殿下に毎日来ていただかなくても、大丈夫なんです。熱が出ても、横になっていれば治りますし。でも、母は殿下がいらっしゃると、たいそう喜ぶので……強くお断りすることも、できなくて」

扉の向こうの、ローレン夫人の嬉しそうな声を思い出した。

「それに、殿下は私の部屋にいらしても、お話をなさるわけではないんです。ずっと窓の外を眺めて、時間が経つのを待っていらっしゃるだけで」

「お疲れなのでしょうか」

「そうかもしれません。……エレナ様との大切なお約束の日まで、殿下をお引き留めしてしまって。本当に、申し訳なく思っていたんです」

シア様が深く頭を下げたので、私は慌てて身を乗り出した。

「シア様が謝ることではありません。殿下が当然だと思ってなさっていることですもの。それに私も、殿下に教わった通り、幼なじみを優先していますから」

「幼なじみ……ノーラン様のことですね。お噂は、我が家の侍女からも」

「まあ、シア様のところにまで」

「ええ。街中で、皆さま使っていらっしゃるとか」

シア様は口元に手を当てて、こらえきれないように肩を揺らした。ころころと鈴が転がるような笑い声だった。

初めて見る、シア様の本当の笑顔だと思った。

帰り際、シア様は玄関まで見送りに出てきてくださった。

「また、来ていただけますか」

「もちろんです。次は、焼き菓子の材料を持ってきますね」

「楽しみにしています」

手を振って小道を戻りかけたとき、門の前に一台の馬車が止まった。

王家の紋章。扉が開いて、降りてきたのは、見慣れた金色の髪だった。

殿下は、門の内側に立つ私を見て、その場で凍りついた。

「……エレナ? なぜ、お前がここに」

「シア様のお見舞いに伺っていたんです。殿下も、シア様のお見舞いですか?」

「それは……」

殿下の視線が、私と、玄関先のシア様の間を行き来する。

「どうぞ、ごゆっくり。シア様、今日は少しお疲れのようですから、あまり長居なさらないであげてくださいね」

「お前は、これからどこへ」

「ルカのところへ参ります。殿下に教わりましたので」

にっこり笑って礼をすると、殿下の後ろで、馬車の御者がさっと顔を背けた。肩が小刻みに震えていた。

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